将棋のある今日を、これからも。100th ANNIVERSARY 公益社団法人 日本将棋連盟

全ての歩みに、ありがとう。 将棋を楽しみたい。将棋を深めたい。将棋をのこしたい。私たち日本将棋連盟を導いてくれたのは、時代を超えて受け継がれてきた、一人ひとりの想いでした。そして2024年、日本将棋連盟は、創立百年を迎えます。これまで、将棋を愛してくれたあなたのために。いつか、将棋を好きになるかもしれないあなたのために。もっと広げていきます。もっとみつけていきます。単純じゃなくて、正解がなくて、底が知れない将棋の魅力を。将棋のある今日を、これからも。

最新情報

100周年によせて

会長より皆さまへ

日本将棋連盟会長の佐藤康光でございます。日頃より将棋文化発展のためご理解ご協力を賜りまして、誠にありがとうございます。

さて、日本将棋連盟は、来たる2024年9月8日に創立100年を迎えます。これもひとえに将棋を愛好してくださる皆様方のご支援のおかげと心より感謝申し上げます。

弊社団では、タイトル戦などを通じて技術の向上を図り、白熱の真剣勝負に彩られながら、一世紀にわたる歴史を積み重ねてまいりました。棋士が全身全霊の棋力と人間力をもって挑む盤上の戦い──。81マスの盤上に40枚の駒が躍動する将棋のダイナミズムは、現代においてもまったく色褪せることなく、今もなお無限の可能性を示してくれています。それは将棋に携わる者にとって無上の喜びであり、日々驚きの連続です。

また愛好家の皆様には、将棋に親しみ、その普及発展に寄与していただき、ありがたく存じます。将棋を指すだけでなく、対局をご覧になったり、棋士に関心をお持ちいただいたり、将棋の楽しみ方はさまざまです。そのように将棋をコミュニケーションツールとして楽しんでいただくことが、皆様の日々の活力の一助となれば喜ばしい限りです。

皆様とともに創立100周年という大きな節目を迎えるにあたり、この特設サイトを開設いたしました。本サイトでは、動画掲出、記念グッズ販売など、多彩なコンテンツをご用意しております。この機会に将棋の魅力を存分にご堪能いただければ幸いです。ご厚誼を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

日本将棋連盟会長
佐藤康光

棋士がふりかえる #100年の名対局 棋士がふりかえる #100年の名対局

この100年の名対局を、棋士の視点からふり返ります。
加藤 対 青野中原 対 森渡辺 対 羽生中原 対 大内加藤 対 谷川、 の対局を追加しました。
佐藤 九段 がふりかえる名対局

加藤一二三-青野照市

佐藤 康光
九段
今でもはっきりと覚えている局面がある。 1986年。当時はネットも中継もない時代。 高校1年、奨励会二段の私は普段は学校が終わると徒歩5,6分の将棋会館に行き、練習将棋を指したり棋譜を並べ皆で意見を言いながらTVモニターに映る特別対局室の盤面を研究するのが常だった。 この日は加藤一二三九段と青野照市九段の第44期A級順位戦が映っていた。 よく青野先生は和服で対局に臨まれておられる。 日本文化の継承を強く意識されているのだろう。 和服での対局姿を普段生で見ることが出来ない私にとっては貴重なシーンであり自分もタイトル戦以外の対局でも着る機会が増えることになる。 今(2022年6月現在)も現役最年長として頑張っておられる。変わらぬ将棋への情熱がなせる業というほかはない。覚えているのは加藤先生がわざわざ飛角両取りの掛かる場所に角を逃げた局面。ただ両取りを掛けると駒損になるのだが攻めが続く。 当時の私としてはその最先端の感覚が衝撃だった。
森下 九段 がふりかえる名対局

中原誠-森雞二

森下 卓
九段
昭和53年(1978年)3月の末、北九州の門司で名人戦が行われた。 中原名人VS森八段の伝説の名人戦の第二局で、観戦の抽選には外れたのだが、立会人を務められた勝浦先生が「子供は見なさい」と言って下さり、初めて棋士を見て、プロの対局を見た。小5の春休みだった。 鮮烈な印象が残っている。 この時の名人戦では、開幕の第一局に森先生が剃髪で現れ、対局場は騒然となったと言う。 その時、私の師匠になって下さった花村先生が立会人を務められていて、「大和尚に無断で坊主になってはいかんな」と言われ、騒然が爆笑に変わったそうだ。 和やかで、懐かしい時代だった。
井上 九段 がふりかえる名対局

渡辺明-羽生善治

井上 慶太
九段
これまで数多くのタイトル戦に立ち合わせていただいているが、その中で最も印象に残つている対局が2017年12月5日に決着した第30期竜王戦7番勝負第5局、渡辺竜王対羽生挑戦者の一戦である。 多くの報道陣が詰めかける中、この対局に勝利した羽生は竜王位を奪取。通算7期目の竜王位獲得となり、永世竜王の称号を獲得。合わせて永世7冠を達成した。 前人未到の偉業を、現地で立ち会えたあの時の興奮は今も記憶に深く刻まれている。
鈴木 九段 がふりかえる名対局

中原誠-大内延介

鈴木 大介
九段
第34期名人戦第7局 中原名人対大内八段 私の中で名対局といえば、▲71角でも有名な中原―大内戦 名人をほぼ手中に収めていたにも関わらずその手からこぼれ落ちた痛恨の手順前後。 大内師匠からは「指した途端に嫌な汗が一気に出てきて後日染み抜きをしてもその冷や汗だけは落ちなかった」等、普段では聞けない当時のお話をよくして頂いたものだ。 棋士になってからは、話の最後に「タイトルは選ばれた人がなるのではない、つかみ取るものだ」等と発破をかけて頂くことも多く、期待されていることはわかってはいたが未だ手中に収めることは出来ていない事については申し訳ないかぎりである。 今でも真面目な話の後で、必ずこちらを向いてニカッと笑う師匠の顔は忘れられない。
脇 九段 がふりかえる名対局

加藤一二三-谷川浩司

脇 謙二
九段
第41期名人戦第6局加藤名人一二三名人対谷川浩司八段 谷川浩司十七世名人のタイトル戦デビューは衝撃的だった。いきなり名人戦大舞台で3連勝の快進撃。その後加藤名人の意地の反撃に遭い連敗。3勝2敗となり迎えた第6局では素晴らしい集中力を発揮して快勝。21歳の名人誕生となった。 その活躍は「名人位を一年間預からせていただきます」の名セリフと共に今も色褪せない。
青野 九段 がふりかえる名対局

木村義雄-塚田正夫

青野 照市
九段
木村義雄14世名人と、塚田正夫名誉十段に直接会った棋士は、私より少し後輩が最後で、今ではほんのわずかと思う。 それでも塚田は1977年(63歳)まで現役を続けたから、私は1局指している。 この写真は木村が名人を取り返した、1949年の皇居「済寧館」の対局と思われるが、角換わり腰掛銀から金を4七に上がり、最後4八金と引く手が決め手になったことはよく覚えている。 木村はこの塚田と、升田幸三第四代実力制名人は、負かす相手。大山康晴15世名人は後継者と位置付けていた節がある。 木村は将棋界の格を上げてくれた棋士で、相撲の升席を借り切って観戦するパフォーマンスを見せた。塚田は他人との関係において我関せずで、何人かで料理屋に行った時も、飲むだけ飲んだら「これ僕の分」と言い、お金を置いて先に帰る人だった。 勝負師は借りも貸しも作らない、と言う主義のようで、一本筋が通っている感じがした。
羽生 九段 がふりかえる名対局

大山康晴-升田幸三

羽生 善治
九段
将棋界の歴史を語る上で欠かす事が出来ない組み合わせが大山―升田戦だ。公式戦だけでも167局の対戦があり数多くの名勝負を演じてきた。大山先生には非公式戦も含め10局以上は対戦がありその受けの強さと盤の前に座った時の迫力を感じた。升田先生は残念ながら棋譜だけだが「新手一生」の精神で独創的な将棋を指されていた。正に最強の盾と矛の対戦でその内容の充実ぶりは今の時代でも色褪せないと思っている。
桐山 九段 がふりかえる名対局

中原誠-米長邦雄

桐山 清澄
九段
中原十六世名人-米長永世棋聖の両者は昭和から平成にかけて幾多のタイトルを争った二人です。 当時は矢倉の全盛期で、両者の矢倉での戦いで数々の名勝負が生まれました。また、中原さんの名人戦での5七銀や、米長さんの「米長玉」は多くの注目を集めました。 私が両者との対戦で感じた中原さんの悠揚迫らぬ対局姿勢、米長さんのイメージ通りの爽やかな対局姿勢が強く印象に残っています。
森内 九段 がふりかえる名対局

谷川浩司-羽生善治

森内 俊之
九段
谷川浩司九段と羽生善治九段の対局数は歴代2位の168局、数々の名勝負を繰り広げてきた。四段昇段後に急速に実力を伸ばした羽生九段が、第一人者の谷川九段に挑んでいくという図式は実に迫力があったが、中でも鮮烈だったのは、羽生六冠(当時)が七冠達成を懸けて1995年から2年連続で谷川王将(当時)に挑んだ、「王将戦七番勝負谷川王将vs羽生六冠戦」である。谷川王将が防衛した1995年は、第1局の数日後に阪神・淡路大震災が起こって神戸出身の谷川王将が被災、3勝3敗のフルセットで迎えた最終局も千日手指し直しとなるなど、激闘のシリーズだった。そして翌年は、自身のもつタイトル全てを防衛した羽生六冠が再び挑戦者となり王将位を奪取、前人未到の七冠制覇が達成され、将棋界の歴史に残るシリーズとなった。棋士が将棋にアプローチする方法は大きく変わった今でも、谷川九段と羽生九段の名勝負は光り輝いている。
谷川 九段 がふりかえる名対局

渡辺明-藤井聡太

谷川 浩司
九段
写真は2021年6月18日、ヒューリック杯棋聖戦第2局、昼食休憩明け。藤井聡太五冠が初めて、タイトル保持者として戦ったシリーズである。171手に及ぶ大熱戦を制した藤井棋聖が、第3局も勝って初防衛。その後のタイトル戦も勝ち続け、今年2月には五冠となる。 渡辺明名人にとっては、この第2局が今期の対藤井戦の大きな分岐点となった。用意周到に作戦を練り、自玉が堅く、残り時間でもリード、という条件を作りながら勝ち切れなかった。この流れを変えられず、棋聖戦に続き王将戦のほうもストレート負けを喫する。 渡辺37歳。藤井19歳。タイトル戦を重ねる毎に藤井五冠は強くなるが、戦うことを諦める年齢差ではない。藤井五冠にタイトル戦で勝つのは自分だ、との思いはあるだろう。二人の次のタイトル戦はいつか。その時渡辺名人は、これまで通り最新形で臨むのか、新たな作戦をぶつけるのか。

みんなでつくる100周年

「創立100周年記念ロゴイラスト」を募集しています。
「創立100周年記念SHOちゃん」の応募は終了しました。10月9日に受賞作品を発表!

年表でふりかえる100年

#将棋を次の100年へ

東西将棋会館移転プロジェクト

2024年。
創立100周年の節目を迎える日本将棋連盟は、
東京と大阪に、新たな将棋会館を建設します。
今の会館がつくられたのは、東京の将棋会館が1976年、
大阪の関西将棋会館が1981年。
どちらも約半世紀が経っており、老朽化だけでなく、ネット配信設備の整備や
バリアフリー化、セキュリティ対策などの課題を抱えていました。
会館を建設された塚田正夫会長や、大山康晴将棋会館建設委員長(その後会長)ら
先達の意志を引き継ぎながら、今の将棋文化を次の100年につなげていく。
そのための移転プロジェクトです。
東京の将棋会館は現在と同じ渋谷区千駄ヶ谷の地でヒューリック社所有の
千駄ヶ谷センタービルに、関西将棋会館は大阪市福島区から高槻市の高槻駅前に
建設予定です。
新たな歴史を刻む総本山として、日本の文化を発信する拠点として、
将棋界の発展により一層尽力していきます。

つきましては、誠に恐縮ですが、この移転プロジェクトに対して、
皆様からのご厚意を募らせていただけませんか。
何卒この趣旨にご賛同いただき、ご支援ご協力を賜りますよう
心よりお願い申し上げます。

会館建設委員メッセージ動画

※東西将棋会館建設クラウドファンディング第三期は、2022/12/25 23時までです。
※関西将棋会館建設のための「高槻市・ふるさと納税」は、2022/4/8から開始予定です。